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かめやの由来

「Come here!」⇒「かむひあ」⇒「かめや」

明治維新以降、外国との貿易が盛んになって来ると外国人を相手にした商売が成り立つようになります。外国人にわかり易い店の名前を付けようと考えるのは自然の流れで、彼らの日々の言葉を聞くとやたらと使っている言葉がありました。何かにつけて「カメヤ」と言っているのです。これだ!と思ってつけたのが「亀屋」です。「カメヤ」と叫んでいるだけで、人が店に入ってくれたそうです。この「カメヤ」は、外国人が仲間を招くときに使う「Come here!」がもとになったものです。たしかに、日本語の音で「カムヒア」と言うよりも「カメヤ」と言った方が、彼らの「Come here.」の発音には近いものになっていると思われます。日本語で言えば「いらっしゃい」とか「おいで」と言った屋号を叫んでいる「カメヤ」という言葉が、店への呼び込みを行なっていることになっていたわけです。

オランダ ライデン国立民族学博物館所蔵 川原慶賀『カステラ焼風景の図』

いわむらカステーラのルーツをさらに紐解いてみよう

長崎へ勉強に出向いた医者が持ち帰った郷土菓子

室町時代の終わりの大航海時代の事です。開港したばかりの長崎港に西欧から交易を求め、初めてポルトガル人が上陸しました。現代でも日本で有名な長崎カステラが日本へ伝わったのもこの頃と言われております。当時のカステラの原型はポルトガルで「パン・デ・ロー」と呼ばれるもので、その隣のスペインにある「カスティーリャ地方」のパンという意味だったそうです。

 

当時、砂糖は特別高価なものだったので、この時のカステラはコッペパンのようなものだったといわれてます。その証拠に江戸時代は醤油のようなものをつけて食していたという話も残っております。カステラはポルトガルの宣教師によって長崎に伝えられ、当初のカステラ鶏卵、小麦粉、砂糖で作った簡素なものであり、西洋の菓子類としては珍しく乳製品を用いないことから、乳製品を生産、常用していない当時の日本にも定着したとされてます。この時日本に伝えられた南蛮菓子には、ボーロ、コンペイトウ、カステラ、ヒリョウズ、ビスケット、タマゴソウメン等があります。金平糖も!
 

そんな長崎に伝来した南蛮菓子が 、いわむらの場合は、長崎に勉強に行っていたお医者さんが帰っきて伝えたことで現在も郷土菓子として作られ続けています。

 

卵、小麦粉、砂糖、蜂蜜を主にした原料を石臼のすり鉢でよく練り、縦18cmくらいの銅型に一本一本入れては、上下を加熱(現在は炭火ではなくオーブン)するというシンプルかつ手間のかけようは伝来した時と変わらないのが一番の特徴です。

 

起源の長崎カステラより素朴さを存分に残しているのが岩村のカステーラです。現在岩村には弊舗を含めて3店舗がこのカステラの製法と誇りを守り続けております。

また、他の地方でも同じようなルーツをたどった伝来・郷土菓子ストーリーが
数多く存在するので調べてみると面白いですよ。

日本三大山城の一つで『日本100名城』にも選定されている岩村城跡

いわむらの魅力をピックアップ!

岐阜県東南端の恵那市岩村(いわむら)は、中世の日本三大山城・岩村城の城下町として標高500~600メートルの傾斜地にひらけた史跡観光の町です。
 

城に向かう本通りには瓦屋根、格子、白壁土蔵など職人や商人の古い町家が今も残され、国の重要伝統的建造物群保存地区の指定を受けています。

 

立派な商家等の旧家等とともに江戸時代にタイムスリップしたような町並みが残っています。

八百年余年の歴史を持つ岩村の城下町、
情緒あふれる史跡観光とともに弊舗へ是非お寄りください。

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